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【質問】コールバーグの道徳性発達理論について


【質問】コールバーグの道徳性発達理論というものを見かけました。これによると、最終的なレベルに達するのは成人の一割程度だそうで、驚き、また腑に落ちるところもあります。この、道徳性というものは何によって発達するのでしょうか  。子供でも最終的なレベルにある子もあるだろうし、本を読めば、学校に行けば、というものではないような気がしますが、マッツさんはどう思われますか?

【回答】

コールバーグの発達理論では、「普遍的倫理原理の段階」が、最後に来る、という話でしたね。 私個人としては、これはイマイチ腑に落ちない。

発達のかなり早い段階から、普遍的倫理の感覚は、多くの子どもが有してるように思うのです。


例えば、「人を殺してはいけない」のようなもの。

動物ですら、無闇矢鱈に同種族の他の個体を殺しません。

ですから、どうもコールバーグの発達理論は、私にはピンとこないところがある。

「まあ分解すればそうなるとこもあるかもね」といった位置付けです。


道徳性は何によって発達するのか、ということですが、「道徳観念を持った大人(親)」に育てられることによって、と思っています。

私の観察によると、子の道徳性は、ほとんどコピペのように親から共有されるか、または親のアンチテーゼになるかのどちらかです。

そうすると、遡っていくと原初の人類はどうだったのか、ということが問題になりますね。


漸化式を解くようなものです。 初期値を想定しないと成り立たない。


つまり、猿人や類人猿にすら備わっている絶対普遍の「道徳観念の前駆体」のようなものを必ず想定しなくてはならないでしょう。


この点で、コールバーグの発達理論の前提になっている、「道徳観念は100%後天的なもの」という命題と反します。


何度か言及していますが、統一教会の(離教する)祝福2世の例。

狂信的な親に育てられ、物心ついた頃から統一原理漬けにされて育つのに、ある時点で教義や教会の間違いに気づいて、葛藤を抱えながらも離れていきます。


教会なしには自分は生まれてこなかったという深刻なアイデンティティの危機に瀕しながら、なぜ「教会は間違っている」という”悟り”を得るのか。


"絶対的な倫理感覚"に導かれている、と考えずにはいられない。 それは、「100%環境要因の中で立ち上がってくるもの」とはちょっと思えないのです。


人は、何らかの絶対的な倫理観を内在させた状態でこの世に生まれてくる。 そして、親の道徳性との相互作用によってそれが育つ。

私はそのように考えます。


コールバーグが最後に持ってきた「普遍的倫理原理(獲得)の段階」は生まれた原初からほぼ達成されている、と思っています。


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